top of page

【論考】トインビーの「創価学会」観(アンディ・ナガシマ研究員)

  • 執筆者の写真: sogakuresearchinfo
    sogakuresearchinfo
  • 11月3日
  • 読了時間: 12分

・論考「池田大作先生とアメリカ――日蓮仏法の受容と継承――」(『創学研究Ⅲ』所収)より抜粋)


ree

 池田大作先生が、海外初の大学講演をされたのが一九七四年四月一日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)である。実はそのちょうど十一年前の一九六三年四月一日、歴史学者アーノルド・J・トインビーが同大学で講演をしていた。

 五十分に及んだ講演で、トインビーは五千年の人類史を概観し、核時代の脅威下、人類を一つの家族とするような思考の変革が必要であると主張した。そして世界宗教の例を挙げ、人類同胞の生存の為の平和を模索しつつ、インドの暴君アショカ大王が仏教に改宗後、軍事によるミッション(任務)から哲学的(平和)なミッション(伝道、布教)へ転換した例に言及するなど、仏教への期待が伺える。

 トインビーは、既に一九三九年には大著『歴史の研究』(第五巻)で、「日蓮」と「南無妙法蓮華経」、そして「立正安国論」にも言及 している。その博覧強記ぶりには驚嘆するばかりである。

 そのトインビーは早くから創価学会に関心を抱いていた。梅原猛(哲学者)が語っている。〈私が今は亡きトインビーと会った時、トインビーは創価学会について強い関心を表明していた。トイ ン ビー の言 葉 を借りる と今 の キ リス ト教 に は とて も 、 こ の よ うなエ ネ ル ギー は残 って い ない 。どうして仏教にはこのようなエネルギーが残っているのか、というのがトインビーの疑問であった。〉(『世界に拓く関西創価学会』、一一三頁)

 創価学会における「世界宗教」の意味を探る上で、トインビーの「創価学会」観を考察することは重要なポイントだと感じる。トインビーは、池田先生との対話で、人類が抱える諸問題を超克するために、「新しい種類の宗教」「未来の宗教」の必要性を述べている。〈トインビー:私は新しい種類の宗教が必要だと感ずるのです。近代西欧に起源をもつ現代文明の世界的普及によって、人類はいま、歴史上初めて社会的に一体化されています。そして、現在の宗教がいずれも満足のいくものでないことがわかったため、人類の未来の宗教はいったい何なのかという疑問が生じているのです。この未来の宗教は、しかし、必ずしもまったく新しい宗教である必要はありません。それは古い宗教の一つが、新しく変形したものである場合も考えられます。〉(『池田大作全集』第三巻、五六四頁)

 作家の佐藤優氏は、著書『地球時代の哲学:池田・トインビー対談を読み解く』で、「トインビー氏は、まさに創価学会がこのような『未来の宗教』であると考えている」と考察している。(『地球時代の哲学』、一六三頁)

 さらに、佐藤氏は著書『世界宗教の条件とは何か』において、キリスト教が、迫害、与党化、宗教改革という道筋で世界宗教化したことを紹介され、創価学会が同じプロセスを経ていることにも言及されている。(『世界宗教の条件とは何か』、一七六~一八〇頁)


 実は、トインビーは日蓮大聖人を他の世界宗教の創始者らとの類似で見ていた。今では絶版であるが、小説『人間革命』英語版(ウェザーヒル社版)の第一巻(一九七二年)、第二巻(一九七四年)にトインビーが「序文」を寄せている。

〈「預言者」は日蓮を形容するのにふさわしい。多くの点で、日蓮はインドや東アジアの仏教の他のいかなる布教者や解釈者よりも、西アジアの預言者たちと親和性が高いからである。本書を手にするゾロアスター教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の読者は、ツァラトゥストラ、ムハンマド、イスラエルとユダの預言者たちと日蓮との親和性に気付くだろう。(中略)日蓮の著作集(御書)の英訳を読めば、その印象は確かなものになるだろう。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」/拙訳、以下同)

〈日蓮は、大乗仏教の法華経の真髄を説いた彼の説を否定すれば、災難が起こるだろうと日本の幕府と人々に警告した。災難は起きた。日蓮は、究極の精神的実在を見通す予見者であると共に、未来を予見する才能に恵まれているという一般的な意味での預言者としての名声を勝ち得たのだ。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

〈これは、日本の "預言者 "日蓮によって示された仏教であり、彼は西暦13世紀に生きたが、彼が創設した教会(教団)の中で今も生き続けている。私がユダヤ教やイスラム教の用語である「預言者」や、キリスト教の用語である「教会」という言葉を使うのは、日蓮とその信者が、西洋人には、日蓮系以外の仏教徒よりも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者の方が、精神的に近いように見えるからである。〉(英語版『人間革命』第二巻「序文」)

 トインビー史観では、高度宗教(世界宗教)の誕生には、"異なる文明との出あい"、具体的には、一文明による他文明の征服が必要であり、征服された方の文明がその苦しみに耐え、思考が内面的に深化し、苦悩が英知を生み出し、高度宗教に結晶すると説いた(山本新『トインビーの宗教観』、四三~四四頁)。そうした視線で、トインビーは、十三世紀の蒙古襲来の危機的状況にあった日本における日蓮に言及している。

〈十三世紀の日本の状況は、キリスト前八世紀のイスラエルとユダによく似ていた。どちらの場合も、すでに広大な征服を達成していた侵略的な帝国(アッシリアは前者で、モンゴルが後者)が、攻撃を仕掛けようとしていた。日本の場合、しかし、攻撃者は撃退された。そして、日蓮は迫害を受けながらも、イザヤの殉教を免れたのだ。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

 さらに戦時下、国家神道のもと、創価学会員が〈かつてないほど厳しく、信念を貫く勇気を問われた〉ことを、ローマ皇帝デキウス(在位二四九~二五一年)のもとでの最初のキリスト教徒迫害(二五〇年)から、東方正帝ガレリウス(在位三〇五~三一一年)が公式に迫害を終わらせた(三一一年)寛容令、さらに、その後のミラノ勅令(三一三年)のキリスト教合法化と続く歴史のアナロジー(類比)で言及している。

〈紀元二五〇年から紀元三一一年にかけて、ローマにおける国家神道が同じ理由でキリスト教徒に強要されたときに、キリスト教会は同じような試練を受けたのだ。この英語版『人間革命』では、一九四五年七月から一九四七年一〇月までの創価学会にとって、また日本国民全体にとっても試練の時代を扱っている。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

〈創価学会の指導者は、真実とは信じない、日本を破滅に導くと考えた宗教(国家神道)に、口先だけの奉仕を脅迫されるのを断固拒否して名声を博したのだ。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

〈創価学会は、戸田会長のもと、そして後継者の池田大作のもとで、戦後の驚異的な復興を成し遂げた。それは、経済分野における日本国民の物質的成功に匹敵する、精神的偉業である。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

 池田先生との対談において、「未来の宗教」は、「古い宗教の一つが、新しく変形したものである場合も考えられます」とトインビーは述べていたが、その文脈でこの「序文」においても、新しい世界宗教としての創価学会への期待が伺える。

〈池田氏の著書には、一九四五年の日本の悲惨な状況が生々しく描かれている。それは、ローマ帝国政府がキリスト教迫害をしぶしぶ放棄した三一一年のローマ帝国の状況に似ていた。どちらの場合も、精神的な空白と物質的な危機があった。ローマ帝国は蛮族の侵略によって荒廃し、同時に古い宗教は人々の心をとらえる力を失っていた。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

〈戦後初期の段階で、日本人は個人としても集団としても、人生を一からやり直さなければならなかった。軍事的に敗北し、経済的にも破滅していた。この苦難は、日本に多くの新宗教や古い宗教の新しい形態を呼び起こした。創価学会が魅力的だったのは、その信仰が人々に自信を呼び起こしたからである。〉(英語版『人間革命』第二巻「序文」)


 さらに、トインビーが、創価学会に全人類を相手にした「世界宗教」としての活躍を観ていたことが、この序文にも綴られている。

〈戦後の創価学会の興隆は、単に創価学会が創立された国(日本)だけの関心事ではない。池田氏のこの著作が、フランス語や英語に翻訳されている事実が示すように、創価学会は、既に世界的出来事である。創価学会は仏教団体であり、仏教はそのメッセージを全人類に伝えようとした最初の伝道的宗教であった。(中略)日蓮の地平(視野)と関心は、日本の海岸線に限定されるものではなかった。日蓮は、自分の思い描く仏教は、あらゆる場所の人類同胞を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである。〉(英語版『人間革命』第一巻「序文」)

 現代に求められる「世界宗教」についてトインビーと語り合われた際のことに触れて、池田先生は、日蓮仏法こそが人類の抱える諸問題を解決しゆく「世界宗教」であるとの確信を述べられている。

 〈トインビー博士は、常に人類の未来をみすえていた。人類の生存のためには何が必要なのか。そのために諸悪と戦い、克服する力はどこにあるか──そのことを考えておられた。人類の未来を開く宗教は、古くからの“永遠の知恵”と、現代の要求に応える“抜本的な新しさ”を併せもつことが不可欠である。我が創価学会は、『価値創造』のその名のごとく、正法を根本に、常に時代の要求に応じる新鮮な運動をたゆむことなく展開してきた。日蓮大聖人の仏法は、人類のかかえる課題を解決し、文明を蘇生させるのに十分な、普遍的な法理と、偉大な力を備えた、最高の世界宗教である。〉(『池田大作全集』第八〇巻、六四~六五頁)

 トインビーは『現代が受けている挑戦』(吉田健一訳、新潮文庫)の第九章「世界宗教の意義」で、高等宗教が今後生き残る為に改革すべき三つの条件を述べている(アーノルド・J・トインビー『現代が受けている挑戦』吉田健一訳、二八四~二九四頁)。それぞれについて確認してみたい。 

 ①「高等宗教は、お互いに対する態度と行動を、敵意と敵対から愛と協力に変えなければならない」

 池田先生はユダヤの人権団体「サイモン・ウィゼンタール・センター」、キング牧師の母校・モアハウス大学キング国際チェペル、イラン出身の平和学者のテヘラニアン博士を初め、長年にわたる宗教間対話に尽力されてこられた。一九七五年五月に一度は決定していたローマ教皇との会見が、日蓮正宗宗門の妨害で流れたが、二〇二四年五月に原田会長がフランシスコ教皇(当時)とバチカン市国で会見されたことに明らかなように、創価学会は人類が共有する諸問題へ宗教の違いを超えて協力してゆく行動を続けている。


②「高等宗教は実際的な方法で、各時代の重大な問題に関与しなければならない」

 創価学会の「社会憲章」(二〇二一年施行)の「前文」には、こうある。

 〈今日、人類はいくつもの複合的な危機に直面している。人類が生存し発展しゆくためには、我々人間はあらゆる生命と密接な関係にあるとの自覚のもとで結束し、協力すべきである。それには全ての人の貢献が必要であり、また誰一人置き去りにされてはならない。〉

 〈日蓮仏法は、我々一人一人が智慧、勇気、慈悲という無限の可能性を、日々の生活の中に発現しゆく方途を示している。ゆえに我々が目指すべきは、未来の世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公正で持続可能な世界を構築しゆく人材の育成である。〉

 〈我ら、創価学会は、「世界市民の理念」「積極的寛容の精神」「人間の尊厳の尊重」を高く掲げる。そして、非暴力と “平和の文化”に立脚し、人類が直面する脅威に挑みゆくことを決意して、ここに以下の「目的及び行動規範」を確認し、本憲章を制定する。〉

  さらに、「目的及び行動規範」には十項目が挙げられているが、その中にも、人類が抱える時代の重要問題への関与を謡った行動規範が明示されている。幾つか例を挙げてみたい。

〈4 創価学会は、仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重して、 人類が直面する根本的な課題の解決について対話し、協力していく。〉

〈6 創価学会は、平和を求め、核兵器なき世界の実現に尽力する。また、公正で持続可能な開発に貢献する。〉

〈9 創価学会は、持続可能な世界を未来世代に残すために、気候危機に対処するとともに、地球上の生態系の保護に努める。〉

  創価学会は、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際パートナーとして、核兵器廃絶への取り組みに協働してきた。また、国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の普及活動、目標達成のための取り組みを多角的に行っている。

 難民問題についても、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への支援など、その意識啓発の活動にも取り組んでいる。こうして社会憲章に謡った通り、創価学会は、現代世界が抱える重要問題に対して、様々な積極的な行動を展開している。

 トインビーは池田先生との対談後に、周囲から様々な反応の私信を受けたようだ。その中で、ある識者からの忠告に、自身の率直な思いを次のように綴っていた。

〈私は、宗教とは人生でもっとも重要なものであると考えております。この根本的な点と、宗教と不可分の重要な倫理的努力という点において、池田会長が代表される創価学会に、私は賛同しているのです。それは、たとえば、軍国主義と戦争に反対し、政治の腐敗に反対し、麻薬の使用に反対し、その一方で、前向きな目標を持って、人類全体を効果的に協力させようとする点です 〉


③「高等宗教は、それらの制度、教義、教えの永久に変わらぬ本質から、長い歴史のうちに本質を覆い隠してしまった非本質的な付着物を取り去らなければならない」

 トインビーは同じ趣旨のことを『一歴史家の宗教観』(深瀬基寛訳、社会思想社)にも言及したが、ここで、高度宗教の「本質剥離」、すなわち、宗教の付随的なものを、本質的なものから分離する必要性を、「籾」(もみ)と「穀粒」(こくりゅう)のふるい分けの作業のアナロジー(類比)で述べている。

〈われわれの時代のわれわれの世界において、人類の宗教的遺産の籾と穀粒をふるい分ける仕事が(中略)あらゆる高等宗教の信者がつねに直面している恒久的な仕事である。(中略)高等宗教の歴史的収穫は決して純粋な穀粒ばかりではない。従ってこのふるい分けの作業は、すべての高等宗教に生涯つきまとって離れない仕事である〉(トインビー『一歴史家の宗教観』深瀬基寛訳、三九〇頁)


 創価学会は、「平成の宗教改革」を通して、「僧が上、信徒は下」なる差別的な人間観や、大聖人の教えと無縁な神秘的な血脈観や法主信仰、さらには、創価学会のベートーベンの『第九』合唱を「外道礼賛」と批判するなどの偏狭な教条主義など、日蓮正宗宗門がいつしか付着してきた本質ならざる付随的な邪説や化儀をふるい分け、トインビーの言う「本質剥離」を実現し、未来に向けて、アメリカをはじめ地球上のあらゆる地域で実践しゆく「世界宗教」へと転換させたと言えよう。

コメント


© 2024 創学研究所

bottom of page